夕日の帰る場所へ

私は今日も生きる

8月10日の手紙 おじいちゃん

カホちゃん

元気にしていますか





カホちゃんも

大好きなおじいちゃん。




お母さんもおじいちゃんを

尊敬しています。





おじいちゃんは

お父さんが戦死した事からはじまって

数々の辛い目にあって



とても苦労して大人になって

ずっと懸命に働いて



認知になってしまった妻(おばあちゃんの事)を

優しく介護して看とりました。





おばあちゃんが

「今、私のおじいさんが来て(はるか昔に亡くなった方)、饅頭でも買えとお金くれたんやよ」と胸ポケットの1,000円札を見せると


「良かったなぁ、

おじいさんはお母さん(おばあちゃんの事)がいつまでも可愛いんやなぁ」

と言ってあげ、

おばあちゃんは満足そうにニコニコし、




おばあちゃんが「ここにあったおじいさんのお金がない!」と、騒げば、スッとまた1,000円札を入れて


「あー、あったあった。失くなってないぞ、奥の方にあったぞ!」と笑っていました。




この対応がいいか悪いかは別として

なんだか感動しました。





すべてのおばあちゃんの困った言動にも

優しく優しく接して



亡くなった後も

毎晩、お経をあげ(南無阿弥陀仏を三回だけ💦)、


骨壷を抱き(まだ納骨してない💦)

「お母さん、大好きだよ」と言う。


カホちゃんの写真にも毎晩声かけてくれてるけど、

聞こえてるかな?





福引きの券をもらって

お母さんが「一等当ててね」と言ったら



「俺は一等じゃなくていい。

本当に欲しい人に当たってくれれば一番いい。」

って言う。




お母さんは、やっぱりくじはいいのに当たりたいと思っちゃうけど、


それって強欲だったなと反省しました。




おじいちゃんを見てると

そういう人間になるために

苦労があったんだなと思えます。




苦労が多い人は、最終的に

他人も苦しめと考える人になる人と



他人の幸せを心から願える人になる人

がいると思います。





お母さんは後者になれるように

頑張るね。








でも、やっぱり、宝くじとか当たったら

いいなと考えちゃうな。





まだまだだね。





お母さんの成長を

応援していてね。





それと

おじいちゃんを見守っていてね。






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